「私は食べ物のあまりない時代の人間ですから、本当にびっくりしてしまいましてね。こまってしまいました」 山下先生は、そう言うと本当にこまった顔をして、次に何を言おうかと考えていらっしゃるように見えた。
小学校二年生のむすめの学校でのことである。先生が、「世界には、食べ物がなくて死んでしまう子がたくさんいます。みんなはこの人たちのために、何ができると思いますか」 とたずねられると、「先生、スーパーはないの」と聞きたり、「お母さんにたのんで、たくさん食べ物を買って着てマラって、送ってあげます」と答えたりした子がいたそうでたる。
「今の子供たちには、食べ物がないということがどういうことなのか、なかなか考えられないのでしょうね」とおっしゃる山下先生の言葉を聞いて、私は「そうかもしれないな」と思った。私が、むすめに「もっと食べなさい」ということはあっても、むすめの方から「もっと食べたい」ということはない。
少しおなかの出始めた夫にこの話をすると、「そう。今、料理の本よりも、やせるための本を買う人の方が多い時代らしいからな。食べない努力をする人たちが、食べられない人たちと一緒に生きている時代なんだ、今は」。それだけ言うと、あとは何も言わなかった。
山下先生は「子供さんと一緒に、食べ物のことを話し合ってください」とおっしゃったが、これは難しい宿題になりそうである。
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「我是出生在食物缺乏時代的人,因此真的感到非常的震驚、感到非常的煩惱。」 山下 老師說這些話的時候,帶著真的是十份苦惱的表情,考慮著接下來要對我說什麼呢的樣子。
這是小學二年級的女兒學校發生的事。老師說「世界上有很多小孩子因為沒東西吃而死亡,大家想一想為了這些人,應該做些什麼呢」這麼問的時候,「老師,那邊沒有超市嗎? 」聽到這類的回答,還有「我跟媽媽要求,買很多食物帶來,然後送給他們」這樣子回答的小朋友也有。
「現在的小孩子們,沒有食物吃是什麼樣的情況,似乎是無法想像的出來」聽到山下先生這麼說,我也覺得「好像是這樣子的」。即使我再怎麼對女兒說:「再多吃一點」,對女兒而言卻完全沒有「想多吃一點」的意思。
我向開始有點小腹的丈夫說這些話的時候,「嗯。因為,現今是買減肥書的人比買料理書的人還多的時代。為了少吃一點而努力的人,和沒東西吃的人並存於同一世代,這就是現在的社會。」他說了這些後,就再也沒說什麼了。
山下老師說「請和您的小孩一起談些關於食物的事情」,卻變成我一項艱難的作業。
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